
関連ツイート
「頭の中の竜を殺す」という言葉があって(確か小林秀雄だったような気がする)、なんとなく頭の中にあるすごそうな考えでも、手を動かして文字にしてみると大した内容にはならないんだけど、しかし空虚な竜を殺すことを恐れては何も書けない、という話を思い出した RT
— 清水 (@shimizuakila) April 12, 2019
ここで重要なのは、観念の〈外部〉という異様で謎めいた領域についての問題である。まず小林秀雄を初め、観念の自生性を批判する論者たちが提出する様々な反・観念のシンボル――生活、肉体、民衆、土俗、等々――もまた、作為的に構成された観念に過ぎないという問題がある。(p47)
— 笠井潔『テロルの現象学』bot (@terorphenomenon) April 12, 2019
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1116744036675514368
小林秀雄以前に批評家がいなかったわけではない。しかし、彼以前に自覚的な批評家はいなかった。ここで「自覚的」というのは、批評という行為が彼自身の存在の問題として意識されている、というほどの意味である――小林秀雄
— 江藤淳bot (@EtoJun_bot) April 12, 2019
本物の文豪の方の中原中也が訳したランボオ詩集中学の時めちゃくちゃ大好きだったな………小林秀雄訳の地獄の季節も全然違うテイストだけどおもしろかったしまた読み直そかな………
— 非常食 (@sasanoha0012) April 12, 2019
有効に行動する為に予見すること、これが知性の目的である。 (文芸評論家: 小林秀雄)
— やまちゃん1号 (@marotan9999) April 12, 2019
何度も申してますが私は中原中也、小林秀雄、長谷川泰子の奇妙な三角関係が大好きです
— めぐる𖡿 (@jkrx1x108) April 12, 2019
[歴史を問ふのではなく、歴史に逃げる]彼等は、歴史を避難所に利用した代償に、今日の言葉で言へば歴史の相対性といふ不毛な知識を得る。何故さういふ事になるか。徂徠の返答は、大変簡単で、彼等が「古書に熟し不申候故」であると言ふ。
本居宣長/小林秀雄
— 浪曼派bot(陸) (@roumanha6) April 12, 2019
https://twitter.com/800yamatome800/status/1116728154079412225
https://twitter.com/7q_L/status/1116723540948971520
小林秀雄が攻でお願いします
— ご用意されたシマダ (@simasaco) April 12, 2019